おすすめ通信制大学

慶應義塾大学通信教育の卒業生が本音で口コミします。評判・スクーリング・学費・就職。

慶應義塾大学通信教育の体験談

私は高校卒業後に専門学校へ行きましたが、その時にアルバイトで始めた仕事を本業として、専門学校に通う意味が無くなり中退していまいました。

ですが、職場は大卒の方ばかりで、たまに上司から「大学はどこ?」などと聞かれると、少々気分が悪くなっていました。

そのような環境にずっといたら、私の中で学歴コンプレックスが膨らんでいき、「大学に行けば良かったな」などと思うようになりました。

後悔ばかりを何度も心の中で繰り返し、ある時に気が付きました。「なんだ。別に今から行ってもいいんだわ」と。

私はそれまで、大学に行く事が不可能な事だとでも思っていたのでしょう。それ以来、大学に行く事を目標に勉強を始めました。私が25歳の頃でした。

大学はどこにしようかと探しましたが、当時はPCが高くて買えず、スマホなどまだ売られていませんでしたし、本屋で探してみました。

当時、通信教育部を設けている大学は12大学だけで、その中で真っ先に私の目に留まったのは「慶應」の文字でした。慶應大学で勉強できたらいいなと思い、大学まで資料を頂きに行きました。

今は門のあたりに入学案内の自動販売機がありますが、当時は守衛さんから貰うようになっていました。

慶応大学の門の前まで行って、心臓の鼓動が激しくなっていくのを感じ、ドキドキしながら入学案内をお願いして、手を震わせながら受け取ったのを覚えています。

私立大学ではトップレベルとされる慶応大学に、私は入学願書を出そうとしているのだと、不安と喜びでいっぱいでした。

「卒業できないと恥ずかしいから、絶対に誰にも言わないで勉強しよう」と思っていました。入学案内を読んでみると、大学を卒業したら、履歴書には「通信教育課程」の文字はいらないと書いてありました。

「慶應義塾大学〇〇学部〇〇学科卒業」でいいらしく、受講は単位制になっているので、学年などはありませんでした。

心配になったのはスクーリングでしたが、夏期スクーリングは大学の夏休みに3週間、夜間スクーリングは秋から冬にかけて8週間受けるものでした。

その期間に何教科受講するかで出席日数が異なり、夏期スクーリングの場合は仕事を休まなければいけませんし、夜間の場合は早退しなければいけません。スクーリングに通いきれるかどうかと、他の学生さんと話が合うかどうか心配でした。

また、それ以前に、書類選考に通るかどうかも心配になりました。高校の成績は悪かったので、筆記試験はありませんでしたが落ちるかも知れないと不安になりました。

また、高校時代に不登校になっていたので、担任の先生に内申書を貰いに行くのが物凄く嫌でした。

久し振りに会った先生はすごく優しくて、大学の通信教育部を受けると伝えると「絶対に卒業するんだぞ」と、励ましてくれました。

書類一式を郵送して、返ってきた選考結果は入学許可通知でした。家族に内緒で受けたので、一人でケーキを買い、当時住んでいたアパートでお祝いをしました。

そして、入学までには高校レベルの勉強をやり直そうと、時間があれば勉強をしていました。高校生の時は勉強が苦痛でしかありませんでしたが、その時は勉強が楽しくて、何でも出来るような気持ちになっていました。

当時の私が欲しかった資格は学歴です。慶應義塾大学は憧れの大学でもありました。

そして、必死に勉強して通学生のコースに編入できたらいいなと、有り得ない事まで夢見て勉強を続け、入学式に行きました。

誰でも入れるのかと思うほど大ホールは満席でしたが、先生方のスピーチが印象的でした。

大学名を「ブランド」と言い、いい服を着るようなものだと例えている先生もいれば、「独立自尊」について説明をして下さる先生もいました。

この入学式にあと卒業まで大変でしたけど、楽しい大学生活でした。学部は文学部で、大学で取得した資格か免許はフランス語検定2級でした。

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慶應義塾大学通信教育の卒業率は3%!

慶應義塾大学に入学してから卒業まで、私は9年くらいかかり、卒業年度には嵐の櫻井翔さんがいらっしゃいました。

私が在学中に桜井さんは高校に入学し、大学を卒業しています。せめてもの救いは桜井さんの後輩になるほど卒業が遅くならなかった事です。

大学名に憧れて文学部に入ったものの、レポート提出に追われ、その後には試験勉強に追われ、在学中には「卒業できるのかしら?」と、よく思ったものです。

大学のデータを慶應通信(新聞)で読んでびっくりしました。卒業率というのが出ていて、5年以内で卒業できるのは3%しかいないと書かれていたのです。私はその3%に入れなかったのですが、かなり遅れて卒業だけはできました。

卒業率の高い通信制大学ランキング

私は試験の過去問を手に入れるために、「慶應通信文学会」という慶友会(サークルのように、勉強会などをする集まり)に入りました。

慶友会の存在は大きく、みんなで励まし合いながら、また、どの先生がどういう傾向にあるのかなどの情報交換をしたり、かなり助かりました。大学で知り合った友達はみんな、何年も大学に在籍している人ばかりでした。

たまに凄い人がいるなと思えば、京都大学、横浜大学、上智大学など、名門大学をすでに卒業している人たちで、その人たちは趣味で通っていました。皆さんすでに大学で取得した資格か免許はあるので、純粋に勉強を楽しんでいました。

また、病弱な男の子もいて、勉強はできるのに、入院していて大学受験ができなかったらしく、入学してからすぐに教養課程の単位をほとんどクリアしていました。彼の話では「またいつ具合が悪くなるか分からないから、今のうちにやっておかないと心配」だと言っていました。彼は通学コース編入の条件に達していたので、途中で試験を受けて編入していきました。きっと、そんな人たちが3%の卒業率に入れるのでしょう。

それでも、私はこの大学で大きな出会いがあり、頑張る事ができました。それは、マルセル・プルーストという作家の「失われた時を求めて」という作品と、卒論でお世話になった牛場暁夫教授でした。プルースト作品は夢中になって読みました。

そして、勿論、卒論のテーマはプルースト。初回の卒論指導では、担当の牛場教授が入院していたため、当時助教授で芥川賞作家としても有名だった荻野アンナ先生が指導して下さいました。荻野先生は素敵な方で、卒論の進め方を丁寧に指導して下さいました。そして、「牛場教授はプルーストの権威」だと言われ、その一言でかなりプレッシャーを感じてしまいました。

私の想像する牛場教授は、すごく冷たくて厳しいイメージでしたが、半年後にお会いしてみるととても優しい教授で、素晴らしい卒論指導を受ける事ができました。結局、卒論には6年間かかったことになりますが、おかげで多くの事を学ぶことができました。卒論に6年かかったというと、卒論だけに6年もかかったように思われるかも知れませんが、卒論以前に学科の単位が取れなくて卒論提出ができなかったのです。

慶友会の情報のおかげで、単位が取れやすい科目は分かっていたので、取りやすい科目は全部取りました。ですが、最後の1年間がかなりきつく、私の苦手科目と単位が取りにくい科目しか残っていませんでした。慶應は好きな科目を選択できますが、最後の5単位がなかなか取れずに悩みました。

試験がOKでもレポートが再提出を繰り返したり、レポートはAだったのに試験がダメだったりと、途方に暮れてしまいました。そんな時に、牛場教授がフランスに行ってしまうと聞き、卒論の担当教授がかわると大変なので、私はとにかく必死でした。

事務局からは早く卒業するように言われましたが、きっと私の状況を知っての事なのか、3教科5単位の先生方は私に合格点を下さいました。卒論も通り、やっと卒業に至りました。

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大卒の学歴は転職の役に立った

慶応大学通信教育学部を卒業するメリット

すでに仕事をしていた私にとって、大学を卒業したからとすぐに何かが変わったわけではありません。ですが、ブランド品を身に纏うような気分で満足でした。

大卒の資格が活かされたのは、卒業後14年ほど経ってからです。

世の中が不景気で、年々失業者が増加していく中、私の仕事も収入が減らされていくばかりで、私は長年続けてきた仕事を辞める事にしました。

ですが、その後に何をしたらいいのか決めかねていたら、子供たち相手の学習教室の仕事を見つけました。

私は興味を持ち始め、説明を受けに行きました。とても楽しそうなお仕事でした。資格は短大以上卒で、採用試験はとても簡単なものでした。大卒のおかげで転職・再就職が決まりました。

「大学を出ていても仕事には関係ない」と思っていましたが、忘れた頃に必要になるものだと知りました。

⇒通信制大学を卒業後の就職について!はこちらのページに詳しく書きました。

他にも、フランス語検定を受けていたおかげで、簡単な翻訳なども自宅でできるようになりました。

慶友会やスクーリングで一緒だった人たちの中には、教員免許を取った人たちが多く、その中には学校で採用になった人たちもいますし、一応教員免許も取っておこうという人たちもいました。

法学部の人たちは司法試験に何度も挑戦し、ほとんどの人たちが何かしらの取得した資格か免許がありました。私の場合は、大学で勉強しただけの内容でフランス語検定を受験したので、それほど苦労はありませんでした。

ただ、学校の試験に物凄く苦労しましたが。スクーリングは時間の確保が大変でした。私は東京に住んでいるからいいですが、夏期スクーリングには全国各地から集まってきます。

沖縄や北海道から来てホテルに泊まったり、大学が用意している宿泊施設に泊まる人たちもいました。

当時は犯罪が少なく、中には野宿している男性もいたようです。出席者は日本だけではなく、中国や韓国からも来ていました。

それだけではなく、スクーリングに集中したいからと退社してまで参加する人たちが多く、必ず毎年何人か会いました。

スクーリングだけの問題ではないのかも知れませんが、遠くから宿までとってスクーリングに通う方たちは、本当に大きな決断をして出席していたのでしょう。

私が入学した時にはどこの教室も黒板を使用していましたが、卒業するころにはホワイトボードになり、PCの画面を映し出せるようになっていました。

今ではインターネットを導入して、自宅でもネットでスクーリングを受けられるようになっていますし、スクーリングの全教科とまではいきませんが、かなりスクーリングの時間・距離的負担は軽減されているようです。

スクーリングで知り合った方の中には90代のお婆さんもいて、子供の頃には小学校も行けなくて勉強したかったのだと仰っていました。

残念ながら、牛場教授は高等部の校長先生を兼任している関係で、夏期スクーリングの講義をする事はありませんでした。どうしても牛場教授の講義を受けたいと思っていた私は、大学院の進学まで考えていました。

ですが、卒業後に牛場教授が夜間スクーリングを担当すると聞き、受講する事ができました。夏期スクーリングと夜間スクーリングは雰囲気が違い、夏期は部活動の声が教室に聞こえてきたり、午前の講義が終わると、みんなで学食やサロンに行ったりして、通常の通学生のように学生生活を楽しみました。

また、最終日には慶友会で打ち上げをやったり、楽しみがいっぱいありました。ですが、夜間は外が静かで、終了時間は20時を過ぎているので、講義が終わったらみんなすぐに帰っていきました。

大学名に惹かれて慶應義塾大学を選ぶ人たちは多いですが、当時の卒業率が3%だったには、このスクーリングが最大の原因だったと思われます。仕事をしている人達にとって、スクーリングのための時間を確保したり、人によっては宿泊費や食事代が必要になります。中には群馬県から日吉まで通っている人もいたので、交通費が凄かったと思います。

時間・お金・場所の問題で卒業を諦める人が多くいました。ですが、今はインターネットの時代です。その当時よりも卒業率は高くなっている事でしょう。

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